【考察】『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』 「人は信じたいことを信じる」という言葉の意味

アニメ/映画
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今回の映画はエンタメでありながらもメッセージ性が強かったように思いました。

今回のヴィランであるミステリオが「大衆は信じたいことを信じる」「刺激を求めている」みたいなことを言うんですけれども、それはまさに現代に生きる我々への痛烈な風刺でした。

ミステリオの言葉についての考察を綴っていきます。

刺激を求める人々

Twitterやインスタグラム、FacebookなどのSNSが普及したことにより、我々は様々な話題を瞬時に共有できるようになりました。

情報の拡散力もすさまじく、どんな話題だろうとひとたびバズればネットニュースのトップ記事になります。

最近ではネットニュースをテレビで報道することもあるくらい、ネットの情報も重視されていますね。

それは何故かといえば、人々がそれを見たいと思うから

日々ルーチンワークを繰り返す我々は、いつだって刺激的なニュースを求めているのです。

重視されるのは「真偽」よりも「面白さ」

人々は話題を、刺激を求めている。

それ自体は問題ではありません。

ミステリオの言葉が警鐘を鳴らすのは「それ自体が嘘か真実かは二の次である」ということです。

本作のエンドクレジット後のシーンで、ミステリオは映像を通して「スパイダーマンが悪であること」「スパイダーマンの正体」を人々に伝えます。

ミステリオがこの時大衆に伝えたことは、片方は嘘で片方は真実です。

ですが、人々にとって嘘だろうと本当だろうと、極端に言えばどちらでもよいのです。

まず重要なのは話題性

人々が「面白い」と感じるかどうか。それだけなんです。

(余談ですが、編集によって印象だけでなく発言の意味までもが180度変わってしまうというのもまた、風刺的でしたね。)

大衆が「信じたいこと」とはなにか

正義のヒーローだと思われていたスパイダーマンが実は悪いやつだった、しかも正体は高校生だったなんて、人々にとってこんなに刺激的な話題があるでしょうか。

日本では某国民的アイドルグループが解散するだけであれほど話題になるのですから。

ミステリオの話はつまり、あのアイドルグループが実はテロ集団だった、ぐらいのインパクトがあるわけです。

テレビ、インターネットを問わず、そんなニュースが報道されたら、真偽に関わらず間違いなく話題になります。

報道された動画は各種SNSで拡散され、人々の間では様々な憶測が飛び交うでしょうね。

「なぜ悪に手を染めたのか」「家庭環境に問題があったのではないか」など。

そして、やがて話は「真実がどうであるか」よりも「こうだったら刺激的、面白い」という方向に転ぶ。

一種の大喜利のようなものです。面白おかしく、好き勝手言われるのです。

なぜなら、我々は刺激を求めているから。

大衆にとっての「信じたいこと」とはつまり、「退屈な毎日に刺激を与えてくれること」なのです。

真実のように受け取られる虚偽

問題はその後。

真偽よりも刺激や面白さを重視して膨らまされてきた話題が、様々なところでそれらしい理由とともに報道される。

そうなることで、いつの間にかそれが真実であるかのように伝えられ、我々も真実であるかのように受け取ってしまうわけです。

ネット上でも頻繁にデマが流れますよね。

例えばTwitterでは、デマ情報が真実であるかのように拡散されていく様をよく目にします。

拡散している当人は、もちろん悪気はないんですよ。目にした情報を信じて拡散しているだけ。

ですが悪気がないからこそ質が悪いというのもまた事実であるわけです。

嘘が真かを意識する

では、我々はどうすればよいのか。

ネットリテラシー的な話になってしまいますが、情報の真偽を見抜き、取捨選択をして受け取っていくことを意識的に実践していく必要がありますね。

そうでなければ、ミステリオが言うようにただ「信じたいことを信じる」だけの人間になってしまいますので。

今一度ヒーローのあり方が問われる時なのかも

問題提起が身近である分、他人事ではなく受け止めざるを得ないですね。

スパイダーマンをはじめとするヒーローを取り巻く物語が今後どのように展開していくのかは目が離せないところですが、シビルウォーで語られたように「大衆にとってのヒーローのあり方」が今一度問われるのかもしれませんね。シビルウォーの時とはまた別の視点から。

なんにせよフェーズ4が楽しみです。

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