【レビュー】「ブレックファスト・クラブ」 「自分」とは何かを考えるきっかけになる作品

アニメ/映画
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1985年のアメリカ映画。監督はジョン・ヒューズ
日本ではあまり知られていない映画かもしれませんが、アメリカでは知らない人がいないくらい有名だそうです。
映画界でもたびたびオマージュされるほどリスペクトされているみたい。

ふと思い立って見たのですが、想像以上に心が揺さぶられたので、その感想を。
何故それほどに評価が高いのか、というところを考えながら書いていきます。

ネタバレありなのでご注意。

どんな話?

大なり小なりの問題を起こした少年少女たちが、懲罰として休日に
「自分とは何か」をテーマに作文を書くことを命じられる。
懲罰部屋となる図書室に集まったのは、
「ガリ勉」「スポーツバカ」「不思議ちゃん」「お姫様」「チンピラ」の5人。

生活も家庭環境も全く異なる5人の少年少女たちは、互いに接する中で次第に理解しあい、打ち解けていく。

物語の大筋はこんな感じ。
ストーリーはとてもシンプルで大きな場面転換もないですが、キャラクターの掛け合い、心情描写の表現が非常に深く繊細で、気が付くと彼らの動向から目が離せなくなってしまいます。

鑑賞しているときは映画というよりも舞台を見ている感覚に近かったですが、見終わった後に思い返すと表情の細かい動きや絶妙な距離感、登場人物同士の関係性の描き方などは映画だからこそ成立したのだろうと感じました。

「スクールカースト」という言葉のない時代に描かれたスクールカースト

この映画、冒頭でも書いた通りアメリカでは知らない人がいないくらい有名です。

「革新的」という言葉で表現されることが多いのですが、では何が「革新的」なのかというと、本項のタイトルの通り「スクールカースト」という言葉がない時代にそれを描いたことにあるといわれています。

その状態を表す言葉がなかったからといって、その問題が存在しないわけではなく、やはり普遍的な問題として学校内の階級制度というのはあります。

学校内に限らないですけどね。
複数の人間が同じ空間で過ごしていれば、必然的に派閥が生まれますし、派閥ごとの上下関係だってなんとなくできます。

「なんとなく」出来ているものなので、この映画のように派閥に縛られないシチュエーションに置かれれば関係なく接することができてしまいます。
しかしまたもとの派閥に戻れば、カーストを意識せざるを得ない。

具体的に何が悪いというわけでもなく、原因もはっきりしないこの問題は、明確な解消法があるわけではなく、これからもずっと学校生活における問題としてあり続けるでしょう。

だからこそ、本作もまた革新的な映画として注目され語られつづけるのだと思います。

この作品、映画史的には非常に重要らしく、いたるところでこの「革新」については論じられているわけでして、それらと比べるとただの趣味人である僕は前提知識もなく、大したことを語れません。

上に書いたことも、結局いろいろなところで見るのと同じ話です。受け売りってやつ。
なのでこの程度に留めておきます。

またなにか思うことがあれば、ほかの作品などと絡めながら話ができるといいなぁとぼんやり。

「自分とは何か」というテーマ

作中で彼らに課せられた作文のテーマが「自分とは何か(Who you think you are)」でしたが、これがそのままこの映画のテーマでもあります。

物語のラストで、彼らのうちの一人が代表して作文を書きますが、その中でこのようなことを言っています。

「『自分とはなにか』というテーマは馬鹿げている。大人は自分たちの都合で僕たちが何であるかを決めつけている。僕たちは自分たちが何かを知っている。ガリ勉、スポーツ馬鹿、不思議ちゃん、お姫様、チンピラだ。」(要約)

これにすべて集約されていると思います。
「自分とは何か」なんて問いに答えられるはずもなく、あえて答えるならばガリ勉、スポーツ馬鹿、不思議ちゃん、お姫様、チンピラであると。

作中で印象的なセリフの一つに、「大人になると心が死ぬ」というものがあります。

大人というものは自分の感情ではなく理性で物事をとらえているのです。
我々大人が「自分とは何か」と問われれば、何かしら考えて回答をすることはできるでしょう。
しかしそれは、自分の心に従って答えたものではなく、ただ「こう答えればもっともらしいだろう」という考えに基づいた、中身の伴わない答えです。

それは自分が外からどのように見られるかを意識したものであり、自分のうちにある信念や想いなどは度外視されています。
とはいえ、一方で社会で人とかかわりながら生きていくには、そのように他人からの見え方を意識することが必要とされるのも事実です。

大人である我々がこの映画から学ぶべきことは、「大人になると心が死ぬ」という事実を受け入れたうえで、「心を殺す必要のないときは生かす」ことなのではないかと、僕は感じました。

「大人」と「子供」のジレンマ

大人になっても子供のような考え方をしている人は「ピーターパン症候群」と呼ばれ揶揄されたりしますが、それってそんなに悪いことではないんじゃないかな、と僕は思います。

大人になっても心を殺さずに生かしているのだから。
社会で生きるためには不要なものかもしれませんが。これはジレンマ。

僕自身は、それらのバランスをうまくとりながら、天秤をどちらにも傾かせずに保ちたいと思う次第です。

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