【考察】伊坂幸太郎『砂漠』 「砂漠」と「オアシス」について考える

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社会に出る前の、4年間の大学生活を描いた作品。
伊坂さんは、本作を通してモラトリアムの贅沢さと滑稽さを描いたと言います。

タイトルの『砂漠』は、作中でも出てくる通り「社会」を比喩的に表現した言葉です。
同じように比喩として学生生活を「オアシス」と呼んでいます。

この作品の中核をなすであろうこの「砂漠」と「オアシス」の関係について、考えたことをまとめたいと思います。

砂漠とオアシス

まず、実際の砂漠とオアシスについて。

地球上の陸地の四分の一を占める砂漠ですが、人が居住できません。
なぜかといえば理由はシンプルで、人間が生活できるような環境ではないからです。

その大きな理由の一つは、水源がないこと。
降水量がとても少なく、降ったとしても貯まるより蒸発する量のほうが多いそうです。

だから、砂漠で生活するためには水源=オアシスが必要です。

これを、作中に綴られているように「砂漠」を社会、「オアシス」を学生生活と置き換えてみると、どうなるでしょうか。

確かに、社会に出て生活するためには、学生時代にしっかりと準備することが必要ですし、
学生時代に勉強もせず、将来について考えもせずに卒業式を迎えることは、
いわば手ぶらでオアシスを出て、砂漠を彷徨うのと同じです。

一見すると、しっくりくる例えだなぁと思うのですが、
本作を読み進めていくと、どうやらそういう意味で語られていないように感じます。

というのも、登場人物たちは皆が皆勤勉で将来に備えているというわけではないからです。

では本作における砂漠とオアシスとは何なのか。
もう少し踏み込んで考えていきます。

人間関係について

本作『砂漠』では、砂漠やオアシスの話と別に、人間関係について言及されています。

卒業式の場面で、星の王子さまから引用した「人間関係の贅沢が最大の贅沢」という言葉が出てきますが、これは「良好な人間関係は何物にも替え難い、非常に大きな価値のあるものなのだ」ということを表しています。

この引用文にある「贅沢」という字面を見たとき、私の頭に思い浮かんだのは「オアシス」でした。

皆さんはオアシスにどのようなイメージを持っているでしょうか。
私が持っているのは、リゾート然とした風景です。
過酷な砂漠とは裏腹に、活気に溢れて潤沢な印象があります。

このイメージが「贅沢」という言葉とリンクしたわけです。

つまり何が言いたいかというと、オアシスとは学生時代を指すというよりむしろ、学生時代を支えた人間関係のことを指しているのではないか、ということ。

砂漠で生き抜くためには、オアシスが必要。
これを作中の言葉で置き換えるならば、「社会で生き抜くためには人間関係が必要」ということになります。

我々社会人は人間関係を拠り所として社会を生き抜いています。
普段あまり意識はしませんが、言われてみればその通りですよね。

「社会で生き抜くためには人間関係が必要」というのは、なんだか偽善っぽくも感じるのですが、本作での彼らの経験を省みると、非常に説得力があります。

彼らの退屈な日常が色付いたのも、直面した困難を乗り切れたのだって、すべて互いの人間関係あってのことですから。

人間関係を大切にすること

結局のところ、作品から何を受け取ったかというのは人によって異なりますし、なんなら作者の意図していない受け取り方をすることもありますが、どれも間違いではありません。

私がたどり着いた結論はこんなところで、言葉にしてみれば非常に陳腐になってしまうのですが、本作で学生たちが経験した出来事を通してみれば、やはりこれこそが本作からのメッセージなのではないかと、強く感じました。

砂漠で生き抜くために、必要なのは水か、食糧か。
否、何よりも人間関係なのです。

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